中森明菜の昔の画像が可愛すぎ!若い頃から現在を時系列で歌動画比較

中森明菜の昔の画像が可愛すぎ!若い頃から現在

現在、帯状疱疹の再発など体調不良のため、2018年から芸能活動を休止している中森明菜さん。

テレビ・雑誌などメディアに約5年間も表に出ていない中森明菜さんですが、

昔のライブ映像がテレビで放送されるや否や、『#中森明菜』が日本のツイッタートレンド1位になるなど、

デビューから40周年を迎えた現在も人気は衰えていません。

中でも最近は20代などの若い世代の人たちが全盛期の『中森明菜の昔・若い頃』に注目しているとか。

そこで今回は、
・中森明菜の昔の画像が可愛すぎ!昔の画像と動画まとめ
・明菜の若い頃から現在まで40年間を年代別に時系列で画像と歌動画で比較
・各年齢ごとの画像や話題になったテレビ歌動画やCM、当時のエピソード

についてお届けしていきます。

目次

中森明菜の昔の画像が可愛すぎ!【明菜の小学生〜デビュー前】

明菜幼少期(小学生時代)

右の女の子が中森明菜さん

中森明菜さんは1965年(昭和40年)生まれの、57歳(2022年現在)です。

東京都大田区大森の自然豊かなベッドタウンで生まれ、東京都清瀬市で育ちました。

左から2番目が中森明菜さん

中森明菜さんは6人兄弟の5番目の三女として育ち、

兄弟にはみんな『明』がつき、「明るくにぎやかな家庭であってほしい」という母親の願いから名付けられました。

明菜さんは4歳〜14歳まで10年間、練馬のバレエ教室「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っています。

明菜さんが曲の振り付けを全て自分で振り付けいるのも、バレエやダンスの経験があるからなんですね。

幼い時から踊ることと歌うことが大好きな女の子だったようです。

明菜16歳(1982年):『スター誕生!』合格【歌動画】

明菜さんは中学時代に、オーディション番組の『スター誕生!』に2回挑戦し敗退。

その後1981年の本戦3回目の挑戦で、山口百恵さんの『夢先案内人』を歌い番組史上最高得点の392点で合格。

11社の会社からスカウトを受け、所属事務所『研音』、レコード会社『ワーナーパイオニア』とのレコード契約を決めています。

芸能事務所の『研音』と言えば、今をときめく福士蒼汰さんや川口春奈さん、天海祐希さんなど人気俳優が勢揃いの事務所ですが、

明菜さんが所属当時は売れていたタレントは浅野ゆう子さんと明菜さんくらいでした。

中森明菜さんが研音の初期を支えたタレントと言ってもよさそうですね。

中森明菜の若い頃から現在を時系列画像比較【明菜10代】

明菜16歳(1982年):『スローモーション』でデビュー

1982年5月1日、中森明菜さんは『スローモーション』でシングルデビューを果たします。

当初、『森アスナ』という芸名でデビューを検討されていましたが、明菜さん本人が拒否し本名である『中森明菜』でデビュー。

昔のアイドルにはキャッチフレーズが付けられていて、中森明菜さんのキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘ミルキーっこが付けられました。

明菜さん本人はこのデビュー曲がかなり大好きで、ライブやテレビでもよく歌唱しています。

明菜18歳(1984年):『北ウイング』

1984年に発売された『北ウイング』は当初、曲タイトルが『ミッドナイトフライト』『夜間飛行』などの候補がありましたが、中森明菜さんの提案で『北ウイング』に決まります。

明菜さんはこの曲のタイトルについて、このように話しています。

【中森明菜】
(昔からファンの)松任谷由実さんの「中央フリーウェイ」に影響を受けた

明菜19歳(1985年):「ミ・アモーレ」レコード大賞受賞

中森明菜さんは1985年、『ミ・アモーレ』で当時19歳で日本レコード大賞の大賞を受賞します。

その受賞の時には、当時まだ健在だった明菜さんのお母さんの中森智恵子さんが、歌唱中に花束を持って登場します。

もちろん明菜さんは大号泣しながら熱唱します。
上の動画はそのレコード大賞受賞時の動画になります。

明菜さんの母親は1995年に癌のためこの世を去っています。

中森明菜の若い頃から現在を時系列画像比較【明菜20代】

明菜20歳(1986年):「DESIRE -情熱-」レコード大賞受賞

前年の1985年に引き続き、当時女性歌手では初めての2年連続『日本レコード大賞』を受賞。

まだ21歳にもかかわらず、歌手としてトップクラスの実績を出しています。

左の画像は2度目のレコード大賞受賞時のシーンで、右はその年の年末の紅白歌合戦の時の画像です。

明菜21歳(1987年):『難破船』

シンガーソングライターの加藤登紀子さん作詞作曲の作品で、はじめは加藤登紀子さんが自身の作品として歌っていました。

そんな時に加藤登紀子さんがテレビで明菜さんを見て、

【加藤登紀子】
『この人に歌わせたらいいんじゃないか』

と思い明菜さん側に連絡。

明菜さんは以前から加藤登紀子さんの作品やファッションが好きだったこともあり快諾し、明菜さんが歌うようになりました。

上の動画は難破船を作詞作曲した加藤登紀子さんをゲストに、本人の目の前で歌唱した『夜のヒットスタジオ』での出演シーンになります。
※曲の終盤で加藤登紀子さんが写っています。

21歳とは思えない大人っぽさ、落ち着きがありますね。

しかし、次のシングルでは超ミニスカのボディコン姿を披露しています。

明菜22歳(1988年):『TATTOO』でボディコンを披露

難破船でしっとりとした大人の落ち着いた歌声を聴かせてくれたかと思ったら、

次はノリノリのボディコンで激しいビートに合わせて踊りながら歌う『TATTOO』を発表します。

当時、明菜さんはミニスカを履くことがほとんどなく、この『TATTOO』の衣装のためにダイエットしたと話しています。

2022年の今見ても、全く古さを感じない、かっこよさがありますね。

デビューから1990年ぐらいまでは衣装のスタイリングは、

明菜さんと専属のスタイリストの東野邦子さん(愛称:くにちゃん)の2人で主にアイデアを出しながら作っていました。

東野邦子さんは現在、スタイリストの養成とマネジメントの会社を経営しています。

明菜23歳(1989年):彼氏•近藤真彦の自宅で自●未遂➡️芸能活動休止

1989年7月11日、中森明菜さんは当時交際していた近藤真彦さんの自宅マンションに行き、自●未遂を図ります。

1989年12月31日の夜、裏番組で紅白歌合戦が放送されている時に、中森明菜さんの芸能活動復帰記者会見が生中継されました。

この記者会見は『金屏風事件』とよく言われている近藤真彦さんが同席した謝罪&復帰会見です。

中森明菜さんが『大晦日(おおみそか)に近藤真彦さんとの結婚記者会見をやるから』と会社から言われて来たのでは?と言われていますが、

実際のところは当初から謝罪&復帰会見だったと報じられています。

会見のバックが金屏風だったため『結婚会見の予定だったのでは?』という情報が後から出回ったため都市伝説のように言われているようです。

明菜26歳(1992年):月9ドラマ『素顔のままで』W主演

明菜さん初の連続テレビドラマ(月9)『素顔のままで』に安田成美さんとW主演。

ドラマでの明菜さんの役どころはダンサーの月島カンナ役を演じています。

明菜さんはこのドラマの役柄の月島カンナが、
ちょっとヤンキーっぽい雰囲気の役柄だったため、声を低くして出演したと話しています。

当時、ドラマ『素顔のままで』はこの年の一番人気のドラマで、最終回では再視聴率31.9%を記録しています。

中森明菜の若い頃から現在を時系列画像比較【明菜30代】

明菜30歳(1994年):『歌姫』シリーズ発売で話題に

1994年、中森明菜さんは自身初のカバーアルバム『歌姫』を発売。

この『歌姫』シリーズは大好評で、2002年発売の『ZEROalbum- 歌姫2』には、松田聖子さんの『瑠璃色の地球』、竹内まりやさんの『シングル・アゲイン』など明菜さん本人も大好きなアーティストの曲が収録されています。

その後、2003年に『歌姫3 〜終幕』では、玉置浩二さんの『恋の予感』、郷ひろみさんの『ハリウッド・スキャンダル』、B’zの『ALONE』など男性アーティストのカバー曲アルバムを発売しています。

明菜36歳(2002年):紅白歌合戦に14年ぶりに出演【動画】

2002年には、『歌姫』シリーズが好評で話題になっていたこともあり、

14年ぶりに紅白歌合戦に出場し、『飾りじゃないのよ涙は』を歌っています。

1987年当時まだ22歳だった時にリリースされた曲ですが、今のアイドルたちを考えるととても大人っぽい22歳だったように感じます。

さらに大人になった『飾りじゃないのよ涙は』も聴かせてほしいですね。

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